西日本豪雨災害 2018年7月7日
まさかうちが浸かるとは…
台風が来たり雨が降った時も、「うちは大丈夫。浸からない」という変な自信がありました。
私の住んでいる岡山市東区平島学区は近くに砂川が流れています。
砂川は、赤磐市仁堀東から岡山市東区光津の百間川に合流する延長39.7kmの1級河川です。とはいっても、我が家近くの砂川の様子は日頃から水の量も少なく、川底がいつも見え砂が見えている、まさに「砂川」でした。
平成になってすぐの台風による大雨の時も、国道二号線は通行できないほどになり、一部の土地の低い場所は浸水被害もあったようですが、当時住んでいた実家周辺は家の前の道路に水が来た程度で、玄関の中に入るほどではありませんでした。
その経験からその量が最大量と思い込んで過ごしてきました。
結婚し、学区外に住んでいましたが、子供の就学を機に私の実家近くの土地を購入し家を建てました。主人の家からも車で15分、実家からは車で5分もかかからない距離に家をかまえ、子供の成長とともにワーキングスタイルを変えながら社会とつながりつつ、子育て中心に歳を重ねきました。
二人の息子達が自宅を離れ大学進学をし、独身時代にお世話になった会社で正社員として、二度目の青春(笑)を謳歌しつつ、旦那さんとワンコと普通のおばちゃんライフを楽しんでおりました。
そんな中で、あの日がやってきました。
交代勤務の主人が帰宅する少し前の23時40分頃、突然家の北西の方から
「ガタガタガタ」とも「ゴトゴトゴト」とも、なんとも表現しがたい異様な音が…。
地震でもなく、雨は降っているが激しい風が吹き続けているわけでもなく…なんだ?なんだ?とSNSで調べているところに主人が帰宅。
Twitterなどで、どうやらアルミ工場の爆発ではないかという情報を得たことで、明日も仕事だ!とにかく寝ようと布団に入りました。
するとウトウトし始めた1時過ぎに突然防災アラートが鳴りました。
深夜ですが、仲良しグループとラインで「びっくり!」なんて会話しつつ、再度眠りつきました。
この時、これっぽっちも「避難」という言葉は浮かびませんでした。
2時過ぎ、携帯電話が鳴りました。
実家の母からです。
母「だめだ!水が玄関から入ってきてる!
あんたのところ、大丈夫?」という電話…
私「(窓から外を見て)こっちは大丈夫…
大丈夫?行こうか?」
母「もう、こっち来れん。無理じゃ。二階に行くから大大丈夫」
私「分かった…気を付けてな!」
すぐに自分でも外に出て道の様子を見てみましたが、特に変化はありませんでした。我が家は団地で東西に10軒程度がならんで建っています。その真ん中あたりに家があり、団地の出口のある西側もですが、特に東側は家より土地がかなり低い道を通らなければ団地からは出られません。
東側は雨が降り続けると用水があふれるので、まずはその東側を見ました。
何も変化はなし。
振り返って西側を眺めてみましたが、真っ暗で何も見えません。
いったん家の中に戻りす。
仲良しメンバーにすぐにラインで危険を伝えました。
6人のうち、我が家より土地が低い位置にあるお宅が2軒あり、そちらの様子も気になりましたが、何人かはどうやら大丈夫そう。
しかし一番土地の低い位置の家の奥さんは、単身赴任中の旦那さんのところに行っていて不在…既読もつかない。おお~~~い(´;ω;`)
どうにも外の様子が気になり、車のカギを持って再度外に出ようとしていると、主人がゴソゴソしている私の様子が気になり二階から降りてきました。
二人で外に出て私の車(軽自動車)に乗り込み団地西側の出口に向けてライトを照らすと、なんと道路に水が来ていました。三軒隣あたりまで車を進めましたが、深さが軽自動車のナンバープレートあたりまで来てる感じがし、これ以上進むことをあきらめてバックして車庫に戻ります。
我が家の車庫は建物近くの方が高いため、二人の車をめいいっぱい後ろまで下げて少しでも高い位置に置くことにしました。
(思い出しても心臓がバクバクします。
でも、私たちのような感覚の方はたくさんいるはず…
我が家も堤防の決壊がなければ浸水などなかったような場所なのです。
弱い堤防を、河川を、ポンプを直すと、次に弱いところが悲鳴を上げます。
もしかしたら、それはあなたの近くの川かもしれません。
そんな危機感をもって備えてもらえたらと思ったのと
自分自身も忘れないようにとの思いを込めてしたためてみようと思います。
まだ自宅の補修の段取りもできていない状態なので、相当なスローペースで
書かせてもらうと思いますが、お付き合いください)
(2018.7.8実家から撮影
青枠が決壊場所 見えている緑は川向こうの堤防です )